la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
衰えない重力を、いつまでも
「キリガのナイトクラブは、ブーダイーン街区の中央にある。東門からは八ブロック、墓地からも八ブロック。これだけ墓地が近いと、なにかにつけて便利だ。」
(ジョージ・アレック・エフィンジャー『重力が衰えるとき』/浅倉久志訳)


浅倉久志の訳、ひろき真冬のカバーイラスト。私が買ったのはちょうど十年前。夢中になって読んだ当時の興奮を、久しぶりに思い出した。

浅倉久志氏の訃報に接して、ディックやティプトリーJr.やエフィンジャーの名訳を思い返す(私の読書歴は、実はSFから始まっている)。私の大好きなギブスンの翻訳も、故・黒丸尚氏といずれ劣らぬ名訳を競っていた(初期短編集『クローム襲撃』、今も好きな本。新装版出ないかなぁ)。

これから、サイバーパンクは誰が訳すんだろう。

たぶん若手の翻訳者も出て来てるはずだけど、私がSFに関しては新しい作家のものをなかなか読まないというのもあって、名前が思い浮かぶのは重鎮ばかり。福島正実とか伊藤典夫とか。

それにしても浅倉久志。
ギブスンの未訳の新作があればいい、と書いてまだ日が浅いので、やや茫然としています。

ほんと、誰が訳すんだろう。
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赤ワインの夢の名残り
「けれども、何も書かなければ、人は無為に生きたことになる。」
(『ふたりの証拠』アゴタ・クリストフ)


リキュールを思わせる濃密な香り。
ダークチェリー、カカオ、それから少しのインク。

久しぶりに飲んだ赤ワインは、普段なら絶対に買わないイタリアのヴァルポリチェッラ(ロンディネッラ&コルヴィーナとの混醸。北イタリアの葡萄のすべてを網羅した、と裏ラベルは豪語する『アルファ・ゼータ』)。

正直、期待はしていなかった。イタリアの赤ワインにはずっと偏見があって、過剰に軽薄か軽薄に過剰か、そのどちらかだと思っていたのだ。

その日は夕食が宅配ピザと決まっていたので(宅配ピザなる食べ物が私の人生に介入してきたのはごく最近のこと)、それに合わせたつもりで選んだのだけど、結局その日は開けず、翌日ひとりで飲むことになった。

挨拶を交わした途端、秘密めかした目配せに驚いた。かと思うとあっという間に寝室に引き込まれて、ドギマギしようにも相手は体温の高い十歳足らずの子供で、古い裁縫箱にしまい込んだ宝物をこっそり、大事そうに見せてくれる。

鳥の羽、壊れた方位磁石、波に削られて丸くなった硝子の破片、潮風で錆びた時計の発条、色褪せたレースの端切れ。

私はそれらを手渡されるままに受け取っては眺め、そこに見え隠れする物語を読む。

この少年は海を見たことがないのだ。
けれど、見たことがないからこそ、どんな船乗りよりも鮮やかに、海を描き出してくれる。

私は感嘆しつつ、少年の紡ぐ物語の続きを追う。
眠たいことも忘れて、夢中になって。

ヴァルポリチェッラって、こんなワインになるのかぁ。

久々に、新しい出会いと発見。
とは言っても、あまりに無為な一日を過ごした挙げ句に眠れずにいるせいで、過剰に詩的な描写をしているのかもしれないけれど。
INVITATION
「…、信頼というものが低下していく文脈に屈してしまった個人はすべて、何も積極的な行動をとらなかったことを通して、そうした文脈を助長したと言える。」
(『舞踏会へ向かう三人の農夫』リチャード・パワーズ)

アウグスト・ザンダーの同名の写真(第一次大戦勃発の年に撮影された『舞踏会へ向かう三人の農夫』)から生まれた、容赦のない濃縮非還元小説。

複製された三枚の「三人の農夫」をめぐる、三つのパラレル・ストーリィ。細部の異なる幾つもの像は、ひとつに結び合わされるかに見えて、最後には分裂/増殖の様相を呈する。

つまり、名前も、生も死も、歴史も世界も、問いも答えも、物語も、ひとつではないのだ。

具体的に言えば、この本に書かれているのは「二十世紀」だ。その内訳は戦争・テクノロジー・芸術・名もなき人々の人生・等々。

ザンダーの写真に映っている(というよりは写真の中からこちらを見つめている)三人の青年たちは、五月の舞踏会に出かける途中であり、また、世界大戦という死の舞踏に赴く途中でもある。

パワーズは健全な理性と明敏な知性と卓抜したユーモアでもって、戦争を、そして二十世紀そのものを、俯瞰して描く。

文章は軽やかに入り組んだステップを踏み、読み手の知のレベルを試すかのように史実を引き固有名詞を引き文献を引き、自由気ままに思索を展開する(パワーズがここまで傍若無人な知的ダンスを繰り広げているのは、彼がこの小説を「誰も読まないだろうと思って」書いたからだ)。

「複製可能」な二十世紀の象徴、つまり写真・T型フォード・戦争(ここに至っては「死」すら複製可能となる、というのは私の勝手な解釈)。

面白い。

込み入ったステップについて行こうとして足をもつれさせながらも、私はリチャード・パワーズの無類の知的舞踏会を、存分に楽しんだ。
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