la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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百年の孤独、さえも
「私の旅は始まったばかりで、決して/終わることはなく/百年が過ぎても、それは始まったばかりで/絶望より向こうには、何も//見えはしないだろう。」
(『ミス・ディキンソンへの手紙』所収「絶望の翼は」より)

この詩は結局、希望を黒い翼の悪魔になぞらえて「純白の鳩に似た、優しい翼を/他ならぬ絶望こそが広げ得るとは!」と、まるきりシェイクスピアの瓢切で終わる。

著者名は書かれていない。奥付けには「二○○六年三月」とだけ。

今の私は何だか「からっぽ」だと公言したことで勝手にスッキリ爽快な気分になっている。

たぶん鬱の揺り戻し、軽い懆状態。

三年前に出ていた結論にたどり着いただけ、というのはもはや滑稽としか言いようがないのだけれど、今の私はこの詩を笑って読める。

そうだよ、その通り。
百年が過ぎても、それは始まったばかり。
そんな旅も悪くない。むしろ飽きなくて良いよね。
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二足歩行のためのリハビリテーション
驚くほどからっぽ。
何がって、自分が。
けれども、空白は満たされなければならないのだろうか?
箱の中には、何かが入っていなければならないのだろうか?

私がこれまでしてきたことは、からっぽの箱の中に10セントショップで見つけた貝殻や石膏のボールや雑誌の切り抜きを貼ったり並べたりすることだ。ジョゼフ・コーネルの技法。巧拙はともあれ、きっと目的も手段も同じなのだ。ただ、私には箱の中に物語を創り出すことはできない(コーネルはそれをやってのけたけれど)。だから、私は箱を見せるより、箱の中のがらくたをひとつずつ取り出して見せることを選んだ。

今、私は驚くほどからっぽだ。
何もない。
何かを創ろうとしてあれこれ集めて試しているうちに、自分が何を創ろうとしていたのか忘れてしまったような気持ち。思えばずっとそうだった。だから、語り始めるためにまず他者の言葉が必要だったのだ。

10セントショップのあれこれは、未だにひとつとして捨てられない、大切ながらくただ。
子供が拾い集める鳥の羽や海辺の小石と同じ。
これからも集め続けるだろうし、このブログでの引用も続けるだろう(いちおう読書記録としての機能もあるし)。

それでももう一度、歌うべき歌はあるのか、語るべき言葉はあるのか、自分に問い直そう。
誰かに必要とされることは、必ずしも生きることの根拠にはならない。ただし死ぬことの躊躇にはなる。なりすぎるほどなる。それはきっとありがたいことなのだろうけど、何かが根本的に違っているという感じがする。

だから、問いの正しい形はこうだ。
「私は何を必要とし、何を望み、何を歌い/語るのか?」

今のところ、からっぽである私は、何も必要としないし何も望まないし何も、歌いも語りもしない(それにしては饒舌だけれど)。

望まれる歌を歌うのか、望む歌を歌うのか。
望まれる言葉を語るのか、望む言葉を語るのか。

だから、正しい形の問いを繰り返そう。
私は何を必要とし、何を望み、何を歌い/語るのか?

からっぽの箱から鳩が出てくることは絶対にない。
けれども、からっぽであることにも、きっと何かの意味や理由があるのだろう。
ホンキートンクライフ
「[なぜ]を問う欲求の重荷を引きうけよ」
(『ウォーターランド』グレアム・スウィフト)


そうなのだ、私はその重荷を捨てて生きるより、その重荷を背負って死にたい。
それはさておき。
数日前にようやくショパンの美しすぎる悲哀の海から這い出して、今は別のCDをプレーヤーに乗せている。偏愛するグレン・グールドの演奏で聴いているのはモーツァルトのピアノ・ソナタ。グールド自身が「嫌い」だと公言して憚らなかった、まさにそのモーツァルトだ。

あちこち跳ね回る音符を軽く「あしらう」ように奏でられる第一楽章。ゆっくりと丁寧だけれどどこか心ここにあらず、といった様子の第二楽章。そして第三楽章は、ほとんど急き立てられるようなギャロップの足取りでさっさと駆け抜けていってしまう。

そんなグールドの、そんなモーツァルト。そのCDを(例によってブックオフで)見つけた時、グールドが何をどれだけ録音したかよく知らない私はかなり意外に思った。何で嫌いな作曲家のピアノ・ソナタを(それも全曲)録音したんだろう、と。

そのCDを聴く限り、グールドはモーツァルトを軽く「あしらって」いる。

モーツァルトの最も有名なイ長調のソナタ(誰にでも聴き覚えのある子守唄)を、グールドはひどく嫌って幼い頃からろくに弾こうとしなかったらしいのだけど、その理由が「誰でも弾く曲だから」だった、という話が私は大好きだ。この4枚組のCDにもその11番が含まれていて、やっぱり「あしらっている」感が溢れているのも大好きだ。

私がそれを繰り返し聴くのはその「気のなさ」が心地良いから(何の感情も押しつけて来ない、私にとってポリーニのショパンと正反対の性質)。

グールドのピアノには喜びも悲しみもない。あるのはただ、音だけ。ひたすら連なり駆け巡り飛び跳ねる音だけ。

無心に、鍵盤にほとんど額をくっつけるようにしてグールドは弾くのだ。音楽をというよりは、音を。そのひたすらな没頭が私には心地良い。

喜びも悲しみもない、ただ在るだけの私には。
再び、図書館の神様
「知識が邪魔をして、普通になれないんだ、あなたは」
(『ナイトメア 心の迷路の物語』小倉千加子)

驚いた。
私は引用したこの言葉とまったく同じことを(但し雑巾を絞るような非難の口調で)、昨日、人から言われたばかりだからだ。

延滞していた本を返すためと、予約しておいたグレアム・スウィフトの『ウォーターランド』を受け取るために今日行った図書館で、初めて出会った本(うんざりするくらい頭の良い心理学者・小倉千加子のことは前から尊敬していたけど)。

語り手である「私」によって「ナイトメア」と呼ばれる彼女は、アーサー王朝を舞台にしたお芝居で装置だか道具だかにブルボン王朝の紋章が使われていることが許容できず、「違う。違う」と抗議したあげく舞台を観続けることを拒否してしまう。普通の観客は気づかないし、気づいたとしてもそんな些細なことを問題にしたりはしないのに。

痛い。痛いな。
私は「ナイトメア」ほど優秀でも有能でもないけど、でもまさに、彼女の劣化コピーだ。
季節外れの哀悼を、かつての友達に
「眠くはないよ/ただ行き場所がないだけなのさ」
(『ミスター・タンブリン・マン』ザ・バーズ)

ローズ・アダージョなんてとても無理だ、おまけに歌も歌えやしないから、いっそ泣こう。もう散々泣いたのに、まだ泣くつもりでショパンのノクターンを聴いている。マウリツィオ・ポリーニ、2005年の録音。申し分なし。

ついでにアルコールもなし。わけもわからず君のことを思い出して苦しいので、とにかく泣いてから眠ります。
ついでにロヒプノールを一錠。というわけで、先に挨拶を。おやすみなさい。
歌に生き、恋に生き…?

GW前に処方して貰った三週間分の安定剤をどこだかに大半なくしてしまった上、「週に一度は酒を抜け」だったはずの上司命令がいつの間にか「酒を止めろ」に変わっていて(今は週に二、三度しか飲んでいなくて、自覚症状の改善としては「白眼がすごく白くなった」のだけど)、途方に暮れながらも今日は久々に明るいうちに帰宅。

オカリナの練習を少しと、半年ぶりくらいにアコギを調弦してたらたら歌ったり。

近所迷惑だったろうと思うけど、ほんとに久々だったので幸い階上の住人も許してくれた(以前ドタバタ暴れられたりガシャンと激しく出て行かれたりして、それ以来オカリナはカラオケルームで練習していた)。

歌うのって良いなぁ。オカリナも好きだけど、自分で声を出すのは別格の気持ち良さだ(巧い下手は別にして)。選曲自由で個人レッスンしてくれる教室があったら通いたい。なんか「懐かしの童謡」とか「憧れのシャンソン」とか「皆でゴスペル」とかいう教室はあるんだけど、どうにも馴染めなさそうだし。ギターは本当に下手で(未だにFmajが押さえられない)調弦も面倒だし、習いたいと思わない。テルミンに至ってはまともな旋律すら奏でられなくて部屋の片隅にうっちゃってあるし(電子楽器の音が苦手だというのもある)。

正直、私は多趣味だと思う。ついて行けない話題は芸能とスポーツと他人の悪口くらいだと思う。でも、でもね、世間にはそればかりが氾濫していて、私にはついて行けないんだ。

折しもオカリナ・アンサンブルのメンバーに「グループ名は任せるから何かいい名前をつけて」と頼まれて、もちろん「リトルネロ」と命名させて貰った(ありがとう)。八月には神戸のオカリナ・フェスにも参加予定(誰でも出られるお祭りだけど)。

これまで読んできた本の断片と共に、この「リトルネロ」も私のランタンの灯になりますように。

歌いたい!という今の切羽詰まった気持ちについては、またどこかで別の機会があるかもしれない、と考えている(別にカラオケルームで一人で歌ったって良いんだよね。まだその勇気はないけど、出来損ないのオペラのアリアなんか誰にも聴かせられないし)。

ただ、新たな上司命令が「恋をしなさい」というのは、これはどうしたものだか。基本的に私はある程度サラリーマン根性を身に付けてしまったので、信頼できる上司の指示には従いたいと思う。でもこればかりは、ねぇ。今度言われたら「セクハラです」と断言しなきゃ。

いいんですか? 私が本気で恋をしようもんなら、仕事なんか一切、手につかなくなりますが。

じゃなくて。
今はとにかく歌いたい!
泣きたいとか叫びたいとか、多分そういうのと同じレベルの衝動。

明後日、実家に帰ってピアノ弾いたりするつもり(職場はGW関係ないので日帰りだけど)。少しは気晴らしになるかな。
ローズ・アダージョ
「この程度のことに、どこに王子様の助けがいるっての?」
(『昴』第八巻、曽田正人)

強さと弱さの間を行ったり来たり。でも私は王子様なんか待っちゃいない。だって、大概の王子様は私よりヒヨワなんだもの。

だからと言って、私はヒースクリフみたいな野蛮人を待ってるわけでもない(いま『嵐が丘』を読んでるもので。もっとセンチメンタルなロマンスかと思ってたけど、意外に容赦のない復讐の物語なのね)。

私が待っているのは私自身の強さ、それも安定して持続する強さ。可愛さなんかより、そっちのほうがずっと欲しい。

と言いながらご褒美に尻尾を振っちゃう軽薄さは、ま、ご愛嬌ということで(今日の私は果敢に闘った末、ご褒美の約束をふたつ取りつけた!)

きっとそのうち、一人で立てるさ。片足のポアントで、気のない素振りで。

ここで甘えたら最後だ。
しっかり立たなきゃ。
こんな焦りを抱かせる人たちに、ほんの少し苛立ちを感じつつも。
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