la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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ハウ・トゥ・キャリィ・オン
「So run baby run,baby run,baby run,baby run...」
(かなり昔にラジオで聴いたシェリル・クロウの歌。作詞者が本人かどうかは知らない)

ずっと暗闇を歩いていて自分の現在位置なんか解りやしないと思っていたのに、気がつくと周りが妙に明るい。世界が私の前にはっきりと姿を見せているのだ、まるでメンテナンス中の遊園地のお化け屋敷のように。

ずいぶん空々しいけど大丈夫。怖くはない。私は知っているのだ、そういう場所は手探りでのろのろ歩くものではないと。

走れ、ベイビー、走るんだ。親しげな腕の間をすり抜け、顔を伏せたままで、ただひたすらに。

何となく、今の自分がすべきこと、というのが解った気がする。なるほど、「見る前に跳べ」ってのはこれのことだったのね。

追記、シェリル・クロウはちゃんと聴いたこともないし顔も知らないけど、この歌だけはまた聴きたいなと思う。確かサビ以外は音程の曖昧な「語り」のような歌で、ラップとかスキャットに馴染めない私には歌うことはできないだろうけど(比喩ではなく私は歌を歌うのが好きで、気に入った歌はたいてい自分で歌わないと気が済まない)、この歌詞の背景には何らかの政治的? 宗教的? 紛争の歴史があるらしく、だからこそこの「走れ、ベイビー、走るんだ」という歌詞は明確な意志を私に伝える。

たぶん。
それが生き延びるための適切な手段なのだ。
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抜かりなく整った部屋で
「それなのにあの『声』が慰め顔に僕に言う、《そなたの夢を/大事になさい、賢者は狂人ほど見事な夢は見ていない!》」
(シャルル・ボードレール/『漂着詩篇』所収『声』より)

現代は「心の病」ブームなのだそうで、流行りモノの苦手な私は些かげっそりする。

今の世の中、何も疑わず「明るく素直に」生きてる人よりは、病んでる人の方がよほどまともだとは思う。いわゆる「見なし患者」という意味で。
でもねぇ、病気はファッションじゃないんだから…「病んでる私」に酔っちゃ駄目でしょう。

とりあえず、他の従業員が「他店の視察に行け」と叱咤されている間に私に下された使命は「週に一度は酒を抜け」で。

まぁ、同時に頂いた御託宣「テレビを見なさい」よりはまだしも実現可能なので、よろしい、週に一度は酒を抜くことにしましょう。

何せ「上司命令」だからね。
枯れ葉の舞う午後

半年くらい前、後味の良くない短編小説(モーリス・ルヴェルとかディノ・ブッツァーティとかジョナサン・キャロルとか)ばかり読んでいた頃に書いてみた文章。
ちなみに「オリョール」はロシア語で「鷲」、「チャイカ」は「かもめ」。ユーリ・ガガーリンは宇宙から地上へ呼びかけるのに「ヤー・オリョール(私は鷲)」と名乗り、後にロシア初の女性飛行士ヴァレンチナ・テレシコワが「ヤー・チャイカ(私はかもめ)」と名乗った。

そう言えば昔、私の「将来の夢」は小説家になることだったなあ。
今はもうそんなことは思わないけど、ストレス発散の手段としては結構、効きます。
ヘマトクリットの推移
「自分が客体になるなんてのはね…」
(『はみだしっ子』三原順)

写真を撮られるのも医者に診察されるのも大嫌いだと、『はみだしっ子』のグレアムは言う。「自分が客体になるなんてのはね…」と。

私もそうだ。

以下、夢ではなく現実の話。

近所の総合病院に血液検査を受けに行ったら、頼りない後姿のインターンらしき医師のところへ通されて内心「大丈夫かな」と思ったのだけど、デスクからこちらに向き直ったその顔が、ちょっと見ないくらい綺麗だった。

そのまま翼をつけた石膏像になりそうな感じ。色が白くて、些か近未来的な整い方をした輪郭に澄んだ大きな目をして(白衣がおそろしく似合わない)。

その黒い瞳でまっすぐ私の目を見つめながら喋るものだから、私は完全に怖じ気づいてしまう。綺麗なものを見るのは好きだけど、「綺麗なものに見られる」のはとんでもなく居心地が悪い。

時折ジェスチュアを交えるその指先だけが顔に似合わず庶民的な風情。これで指まで綺麗だったら救いようがない、と、よく解らない安心の仕方を私はする。

しかし医者にあの美しさは無用だと思う(患者を萎縮させてどうする)。

ともあれ検査結果は二週間後だそうで、予約票には別の専門医の名前が入っていた。あの顔を見られないのは少し残念だけれど、あの顔に見られずに済むのは有り難い。

やれやれ。
ま、どのみち大した病気じゃなさそうだけど。
アヒルと正面衝突
去年の終わり頃から続いていた長い懆状態の反動。私が果たさずにいる幾つかの約束を覚えてくれている幾人かの友人知人に、ごめんなさい。

仕事を終えてから眠るまでの間に、自分が自分に戻るための猶予がない。

一種のジェットラグ。時差ボケ。

跳べったって、どうやって? 何だか足元がひどくぬかるんでるんですが。

それでも、この世界にまだ私を笑わせようとしてくれる人がいることに感謝。いつも、うまく笑えなくてごめんなさい。

今はひたすらケイス・ポラードの呪文を唱えながら、魂が追いつくまで待ちます。

もうしばらく、時間を下さい。
あと少し。
眠りを拒んだ夜のために
バター150g、砂糖150g、卵三個、云々。

とてつもなく眠い。

今この時に限っては、私は眠れないのではなく眠りたくないのだ。読みかけの本。作りかけの箱。そして語りかけの言葉。

地球はあまりにも早く回りすぎる。そのせいで、一日はあまりにも短い。すべてが眠りに中断され、その眠りの中ではうんざりする悪夢が私を待ち構えている。

食べたくもないケーキのレシピ。人生はそれに似ている。

昨夜の自分が、成功する見込みは「ない」と書いたか「薄い」と書いたか確信がなくて、結局「薄い」と書いていたのを確かめて私は安堵と落胆のため息を吐く。

なるほど、私はまだ生きていたいのらしい。
ピルエットとジュテの日々
「今まで内気にふるまいすぎた。」
(ジョゼフ・コーネル、死の数時間前の述懐)

破戒的な安さと酸化防止剤無添加が売り物の、チリ産カベルネ使用の国内醸造ワインを飲みながらウイリアム・ギブスンを読む。あまりにもちぐはぐな組み合わせ。

どこまでも無害な風味に造られたそのワインからカベルネのストイックな個性はきれいに消し去られていて、それはワインというより「アルコール含有の濃縮還元果汁」だ。

共有される文化、つまり最大公約数。「不快でないこと」という目的がたどり着いた、「何の感慨も与えないもの」という当然の不幸な帰結。

均された凹凸は既に退屈でしかない。普通であること、逸脱しないこと、まずは必要条件を満たし、その上で過剰にならない程度の付加価値を持っていればなお良し。

「普通」というこの脅迫に私は窒息しかかっている(それを認識した上で無視できるのは天才だけだ)。浅すぎる喫水線に船は不安定に傾ぐ。けれど、この出来損ないの船に、これ以上なにを積めと言うのだろう?
生きることが適応への果てしない努力を意味するとしたら、私がそれに成功する見込みは薄い。

もとい、今日はよく晴れていて、ちぎれ雲の浮かぶマグリット風な青空の後で夜空に浮かぶまんまるい月がやけに眩しかった。コーネルを真似て作ってみた箱は材料不足とコラージュのお粗末さで無惨(まだ救いようはあると自分では思う)。セロトニンの欠乏は深刻だし絶望的な文章を書いてしまってもいるけれど、悪い一日じゃなかったとも思う。
あの青い半島の彼方へ
「殺されない日々は終わった」
(昨夜の夢のご託宣)

のどかな昼下がり。木造校舎の屋根裏から火事に燻り出されて別館に避難した私は、そこの窓から校舎が燃え上がるのを眺めている。青空を背景に白灰色の煙が垂直に立ち上り、鈍い爆発音が数度。

やがて火のはぜる音。充分に離れているはずの別館までが燃え始め、「放火」の二文字と命の危険を意識しながら逃げ出した非常階段は何故か下りも上りもせず敷地のずっと外まで続き、土手のような傾斜にぶつかってコンクリートの上り階段に変わる。

誰かに追われているという不条理な感覚。不意に、自分が名刺大の白いカードを握りしめていることに気づく。走りながらちらりと目をやると、ありふれた黒のゴシック体で一言。

「殺されない日々は終わった」。

顔を上げると、土手の上の幹線道路は土嚢と鉄条網で封鎖されている。見張りらしき兵士がいきなり機関銃を向けて撃ってくる。

たまげたねこりゃ。
首をすくめるだけで弾丸をやり過ごせるのは夢の利点、と、私はぽっかり目覚めながら思う。オーウェルの『カタロニア讃歌』に、銃撃に遭ってとっさに手で顔をかばった自分に「手で銃弾が防げるものか」と自分で呆れる場面があったっけ。

失礼。他人の夢の話ほど退屈なものはないと誰かが書いていたのを、忘れたわけではないのだけれど。でもこの「殺されない日々は終わった」という言葉、私の「悪夢歴」の中でも出色の出来だと思ったもので。

首をすくめてやり過ごせ、と私の理性はささやく。自分に少しでも勝ち目があると思っていたなら、夢の中の私は拳銃か少なくともナイフくらいは持っていただろう。

悪い癖だ。何をするにも不安が先に立って、結局、一歩も踏み出せない。がんじがらめの日々。

見る前に跳べ。

もう少ししたら、きっとこの言葉も多少の説得力を持つだろう。

今はまだ、私は怯えているけれど。
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