la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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遅すぎた対抗
20081230202309
一応、『早すぎた埋葬』を意識してます、ハイ。

私が仕事納めをしてる時に鳥さん食べ納め。

ショックで物も言えませんて。
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平和的共存の挫折?
20081227210703
…鳥さん。
それは食べすぎでしょう。

このままでは私の取りぶんが危ういので、要らないCDなぞ吊してみようと思います。
…何だかベランダが田舎の畑みたいな風景になりそうな予感。
カラスの飼育
20081214140016
という映画が昔あったなぁ、なんてことではなくて、私が収穫を楽しみに大事に育てているターサイ(小松菜の仲間)を、私をさしおいてムシャムシャ食らってるヤツがいる。仔細に調べたけど虫はついてないし、食い方がやけに鋭角的でズサンなので、うむ、これは鳥害だ、と結論した。

わざわざうちのベランダを狙ってくるとは味の解るヤツだ(?)。なので対策は講じず、寛容に見守ってやることにした。

カラスか何か知らないけど、できれば私のぶんも残しといてね。
この冬の清烈な香気を
「天は自ら助くる者を助く。」
(ことわざ)

今日は何年かぶりに、神様のことを思った。
無事で良かった。ほんとに良かった。あんまり嬉しくて、少し泣きました。

いつも悪いことは人間のせいにして、良いことは自分の手柄にしてしまう神様だけど、きっと今日は少しの祝福を下さったのでしょう。

私も強く生きねば、と思います。

(『ボーイズ・ドント・クライ』のサウンドトラック、ニッターズの『SILVER WING』を聴きながら)
ジャンクション2009
「幸福だということは、恐怖なしに自分自身を認識しうることだ。」
(ヴァルター・ベンヤミン『一方通行路』/岩波文庫『暴力批判論』所収)

つまり幸福というのは一過性の懆状態のようなもの、或いは人が時折しでかす度外れな見当違いのようなものなのだ。真剣に幸福を追求する人々には耐えがたいことかもしれないけれど、ベンヤミンの論に従うならば、愚かさもまた幸福の必要条件らしい。

不摂生と自虐酒の夜。

以前に書いたことがあったかどうか定かではないのだけど、今年の座右の銘は「待て、而して希望せよ」(A.デュマ)だった。こういう言葉の磁力は意外に強いもので、振り返ればまさにその通りの年だったなぁ、と思う。

そろそろ来年の銘を考える時期だ。

さあ、2009年はどんな年にしよう?
ボードリヤールの食卓
「不確実性という深淵にのみこまれてしまえば、現実も価値も法則も、例外的な現象でしかない。」
(『不可能な交換』ジャン・ボードリヤール)


恐いことを言う人だ。

ボードリヤールは世界を既に不確実だと断言している。そのうえ「不確実性自体がゲームのルールになりさえすれば」と言い募る、「(あらゆる領域に不確実性が侵入し、すべてが決定された、安心できる世界が終わりを告げるという状況は)すこしも否定的な宿命ではない」と。

でも、不確実性をルールとするゲームって一体、どんなだ?

確かにゲームにおいて不確定要素をプログラムすることは可能だけれど、プログラムされた不確定要素というのは「乱数発生装置が発生させた乱数を厳密な意味での乱数と呼べるのか」ということと同じで、厳密に言えば「不確実」とは違う。厳密な意味での不確実性は、元来ルールにはなりえない(何故ならそれは不確実なのだから)。つまり「厳密な意味での不確実性がルールになる」ということは、ルールがひとつ増えるというのではなく、既存のすべてのルールが崩壊することを意味する。そんなことを仮定したうえで、世界の不確実さを「否定的な宿命ではない」と言ってのけるボードリヤールに、私は思わず「何様?」と呟いてしまう。
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