la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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私は執事になりたい
「豚、よォほほほほーいー!」
(『エムズワース卿の受難録』P.G.ウッドハウス)

身を守る術を知らぬ人々に。

最大の防御が攻撃だなんて、最大の嘘です。

最大の真実が嘘だと言うのと同じです。

ウッドハウス、良いね。
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カメラータと祝杯。
bouchon.jpg



コルク、上から順に;
クレマン・ド・ブルゴーニュ(作り手忘れ、カメラータ持ち込み)、シモン・ビーズ(性懲りもなく)サヴィニィ・レ・ボーヌ“レ・ブルジョ”'03、シャトー・ラトゥール'93(ハーフボトル、カピタン持ち込み)、シャルツホーフベルガー・カビネット'06(カメラータ持ち込み)。

備忘録として(今後、同じお客に同じ料理を出さないため)。ペッパー・シンケンとクラブ・パテのカナッペ、レシピなし“なんちゃって”ジャーマンポテト、人参と黒オリーヴのサラダ、コンテとミモレット(カメラータ)、レバー・パテとオーヴン調理のラザーニャ(カピタン)。カメラータのシャルツホーフベルガーは事前に銘柄を聞いていたので、マリアージュを期待してラ・フランスとシェーヴル・チーズを。

ワインについては饒舌にならざるを得ない私としても、今回のこれについては沈黙を守りましょう。
何せ“泣く子も黙る”あれだからね。
ラトゥールのコルク上部に見えるカビは、理想的な保存状態だったことの証拠。カピタン家の畳の下の掘りごたつ(もちろんこたつがセットされることはない)で九年間眠っていたという代物。ちなみにコルク下面はほとんど黒に近いみっちりした濃紫色、ビロードのような質感に感嘆のため息。

教訓として。
これだけ飲んだ後はコーヒーまたは紅茶で締めるべし。
間違ってもサンライズのカベルネなんか買って来ないように。
母という永遠の謎/私は君が代を歌わない
20081119201004
「もし自分の人生に最後の晩餐があるとしたら、何を食べたいですか?」
(愛国心あふれる回答を期待して発せられる質問)

…今日は部屋に実家の母を招いてランチ。実家では兄が禁酒中で大っぴらに飲めないと言うので、昼間からワイン(ただし安いやつ)を開けて。

せっかくの親孝行企画だったはずが母はブルディガラのサンドイッチを下げて現れ、鶴橋で見つけたという沢蟹のキムチ(画像)、手製のじゃこ時雨、切干大根の炊いたの、柚子1コ、と手土産まで頂いてしまった。もちろん嬉しいけど。

て、沢蟹のキムチ。大小さまざまの沢蟹が丸ごとうじゃうじゃと漬けられてます。もちろん殻ごとばりばり喰らうのです。おまけに母は、今度行ったら豚足を買ってみるつもりだと言います。

御歳70に近いというのに(晩婚で父より六歳上)、彼女の冒険はとどまるところを知りません。老いて病を得て何故かますます活動的になり、友人知人を増やし続け、挙句、娘に「休みが取れたら一緒に北欧へ行こう」などと宣います(休み以前に先立つものがありませんて)。

どうやら彼女は、私が迂濶にも胎内に全忘れしてきた社交性とか快活さとかを、これ幸いとフル活用している様子なのです。というのも、「若い頃は内気だった」(自称)らしいので。

まぁ今でこそピータンもブルーチーズもナンプラーも何でもござれの母ですが、昔は「スクランブルエッグ」と称して冷めた「かき玉子」を食卓に供していました(ママン、いま思い出しても泣きそうなほど不味かったよ)。

母親の作る料理を心から「おいしい」と感じ始めたのはようやく二十歳くらいになってから。何のことはない、母がボロボロになった『おそうざい十二ヶ月』とか『毎日の家庭料理』とかと決別して栗原はるみとか山本麗子とか、いわゆる「料理研究家」のレシピを買い始めた頃で、母いわく「うちの料理は美味しくて当たり前やん。本に書いたる通りに作ってんのやから」ということになるのです。

つまり実家の台所では切干大根でさえ計量スプーンを使って調味されているわけで、だから母の作る食事はいつでもとても美味しいけれど、彼女が謙遜を込めて言うことには、それは自分ではなくレシピの手柄なのだそうです。


ということは、私にとっての「おふくろの味」は永遠に、悪夢さながらに冷えて固まったあの「かき玉子」なのでしょうか?


で、「最後の晩餐」に何を食べたいかって?
母は迷わず「パンとチーズ」と言います。私もまた、「黒パンとゴルゴンゾーラ」と言います。できればボルドー右岸の、土の香りのする赤ワインと合わせて。

黒パンはドイツ、ゴルゴンゾーラはイタリア、ボルドーワインはフランス。食の国境は、そんなふうにいとも容易く越えられるのです。

話は母から逸れますが、私は私のアイデンティティを日本に求める気にはなれないのです(白ご飯も好きだけど)。どの国でも国歌斉唱で起立するのは常識? それはそうかもしれません。でも、侵略と虐殺の象徴(百歩譲って、その可能性のあるもの)に敬意を表し続けることは、果たして常識と言えるでしょうか?

だから。
そんなに愛国心を育くみたいのなら、日本は国歌も国旗も新しくすれば良いと思うのです。
心機一転。
未来へ向けての、それだけが建設的な提案だと私は思うのです。
2008/11/19(水) 20:05:56 | その他 | Trackback(-) | Comment(-)
ささやかな、つかのまの…
「生れつきあんな性質を持っていながら、なんだって恋なんかする気になったのでしょうね。」
(『人間ぎらい』モリエール)

私は男嫌いだ。と思う。
もちろん私も人の子であるので、人に好かれるのは嬉しい。人のために何かして「ありがとう」なんか言われると、ああ私にも生きる価値があるんだ、誰かの役に立つんだ、と思えて単純に幸せだ。ただそれは今ある私に対する評価ではなく私の努力に対する評価であって、その文脈は明らかに恋愛の領域では無効だ。今ある私を評価されてしまうと私は変化/向上の意欲をすっかり失ってしまう。愛されていると思うと途端にだらしなく傲慢になる自分を私は自覚している(なら直せ)。その点、仕事の文脈では「認められる=より上を求められる」ということなので、至らないながらも闘志を燃やすことができるのだ。

で、男嫌いだからと言って女好きかというと、別にそんなこともない。しばらく考えて、どうやら私は単なる「人間ぎらい」なのだと結論した(考えるまでもなかった)。

それでモリエールなど読んでいるのだけど(いま第四幕)。

人間ぎらいだと言いながらセルメーヌに夢中なアルセスト。君は人間ぎらいじゃなくただ狭量なだけだ。


2008/11/15(土) 23:06:35 | ワイン | Trackback(-) | Comment(-)
ロシアン・ルーレットの妙
「引き留めるわけにはいかないが、追い越すことはできる!」
(『アザゼル』ボリス・アクーニン)

機敏で鮮やかな手腕。
予想外の面白さ。
『堕ちた天使』というのは訳者ではなく編集者か出版社が決めたタイトルだろう。原題はただ『アザゼル』とだけ、言わずと知れた悪魔の名だ。

舞台は19世紀のロシア。主人公は弱冠二十歳の刑事…と紹介されているが実際は特捜部の文書係で、上司には警察より官房向きだと評されている好青年。純情で物腰が良く、頭の回転は早いが肝心なところで一寸抜けている。

実に垢抜けたエンターテイメントだ。最初は「突飛な自殺」だったはずの事件が様々にその意味合いを変えてゆく。誰が敵か味方か解らなくなる。それでも主人公ファンドーリンは直感に導かれるまま、巨大な陰謀の渦中へ飛び込んでゆく。
国際陰謀モノ、ハードボイルドっぽい装丁とは裏腹に、全然マッチョなところのないファンドーリンの造形が好ましい。

久々に時間を忘れて一気に読んだ。借りたのが昨日の午後なので、正味二時間くらいで読了したことになる(!)
古典漬けの頭には良い刺激。「テーマ遊び」、これだからやめられません(偶然にもこの小説はロシアン・ルーレットから始まる)。ちなみにファンドーリンのシリーズは四作くらい出ているらしいので、先が楽しみ。
追記、映画化も良いかもしれない…ただハリウッドには向かないラストシーン。撮るなら飽くまでもロシアということか。
ビバ、ライブラリ!
「人生といえども私を卑しい精神の人間に変えることはできないのです」
(『呪のデュマ倶楽部』アルトゥーロ・ペレス・レベルテ)

二ヶ月以上続いている夜毎の微熱も私の図書館通いの妨げとはならず(昼間は平熱だから)、久々に、昔よくやっていた「テーマ遊び」を再開してみた。

これは読書生活が単調になってきた時の荒療治で、何かひとつ単語か漢字を決めて、タイトルにその字が含まれている本を片端から借りてみるという遊び。普段アンテナに引っ掛からない本との言わば「お見合い」をしようというわけ。

当てはまる本が少ないと厄介なので、なるべくタイトルになりそうな言葉を選ぶ。これまで試したのは「時」「町(街)」「愛」などなど(「愛」なんていう陳腐なキーワードでマキューアンと出会えたのは幸運だった)。

で、今回はやや物騒だけど「悪」。気になっていたボードリヤールの最後の著作が『悪の知性』で、それを借りるのに合わせて。

結果は、①アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』(実は私はあんまり好きじゃないのだけど、笑えるし暇潰しにはなる)、②ボードレールの詩集(ボードリヤールと名前が似ているからではなく、代表作『悪の華』が入っているから)、③ボリス・アクーニン『アザゼル(堕ちた天使)』(堕天使=悪、ではなくて著者が日本語の「悪人」からペンネームをとっているから)、という、ひねくれた選択。

結局は自分の可視領域の中で選んでいるわけで、これが歳をとるということか、と、うちに帰ってから実感した。

引用したのは今日借りた本ではなく今日返した本。ダヴィンチ・コードの百倍は面白かったけと、ボルヘスの百分の一の面白さ。

…これが歳をとるということか。
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