la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
禁煙宣言
少し思うところあって、只今から禁煙します。事情はまたそのうち、ちゃんとインターネットカフェから更新する予定(自転車のパンクも直して貰ったし)。しばらく禁煙ブログになるかも…?
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ひとりはみんなのために。
「一語ずつに解体できる書物がありえないように、一音ずつに分解できる音楽など存在しない。」
(T.E.カーハート『パリ左岸のピアノ工房』より、ジェルジ・シェベックの言葉)

今朝、朗報が届きました。
びわ湖ホールの来年度の予算削減が回避されたとのこと。
疑り深い私はまだ手放しでは喜べないでいるけれど(似たような議論はこれからも繰り返されるのだろうから)、それでも、体の奥のほうからじんわり嬉しさが湧き上がってくる。

良かった。
ある晴れた夜に
「美的形成物は物質的生産物と基本的に異なっており、美的形成物において芸術であるところのものは、物的ではない。」
(『音楽社会学序説』Th.W.アドルノ)


昔懐かしい、というのはこの本は昔、若気の至りで恋愛(だか、恋愛の真似事だか)をしていた頃、アドルノ風に言えば「その恋愛と呼ばれるもののもう一人の当事者であるところの一人物」がくれた本で、記憶の中では確かにくれたことになっているのだけどもしかすると借りたまま返していないのかもしれず、今となっては返しようもないし記憶の中では確かにくれたことになっているので(くどい)、私はさしたる罪悪感もなくその“昔懐かしい”本を引っぱり出してページを繰ったりできる。

クリムトの絵で装丁されている平凡社ライブラリーのその本を、実は私は全部読んだわけではない。私にくれた人も全部読んだわけではない(つまり要らないからくれたのだ)。同じシリーズから『アドルノ入門』なる本が出ていてつまり入門書がなければ歯が立たない類いの入り組んだ論文で、引用した文章も結局「芸術はモノじゃないんだよ」と言ってるだけのことなのにアドルノのこの勿体ぶった言い回しに私は何故だか愛おしさが込み上げるのを感じる。ただその込み入った文章の端々に著者の斜に構えたというかひねくれたというか皮肉っぽい嘲笑的なニュアンスが感じられて、拾い読みをした私の感想は「こんな人とは友達にはなりたくない」という論点の外れたものだった(もちろんアドルノの方でも私と友達になんかなりたくないだろうからお互い様だと言えなくもない)。

ところで、先日このブログに書いた「びわ湖ホールを応援する会」の署名活動は、16日の月曜日、滋賀県庁にてひとまず終了した(「半年休館」なんて提案は引っ込められたらしいけど、まだまだ前途は多難だと思う)。前日の集計作業を手伝おうと思って午後二時頃に集計会場に行くと既に集計は終わっていたらしく誰もいなくて、おっとり刀にもほどがある、と自分を戒めながら琵琶湖岸を歩いて歩いて図書館へ行ってきたのだけど。

遅ればせながら、ご協力いただいた方々に感謝します。特にママン、F君、Kご夫妻。本当にありがとうございました。これからも、「お金にならないこと」のかけがえのない大切さ(?)を忘れずにいたいと思います。
遠い声、遠い空
「彼らはどの端をつかんでぼくを捕えるべきかを知らない。」
(『ぼく自身あるいは困難な存在』ジャン・コクトー)

そう、彼らはどの端をつかんでわたしを捕えるべきかを知らない。
そして、私はどの端をつかんで彼らを捕えるべきかを知らない。
彼らを、あるいは世界を。
だから私は暗中模索するしかなく、がために無様な失敗を繰り返し、けれどもそれだからこそ、今日よりも明日に希望を繋ぐことができるのだろう。

そうして一歩ずつ、足元を確かめながら歩いてゆく以外に、絶望に立ち向かう術はない。
絶望と決別したとは言いながら、私の足取りはまだまだ重いのだ。
荒くれ猫は決して自分からは立ち去らない、と、〈パイロット〉マルリィ・オスタが独白したように、絶望は決して目の前から消えてなくなることはない。

喧嘩上等、と、いつか言える日が来ると良いのだけど。
これが資本主義社会の末路だ、クソッタレ!
「芸術は贅沢品ではなく、必需品なのです。」
(映画『ベルリン・フィルとこどもたち』より、サイモン・ラトルの言葉。うろ覚え)


昨日、うちの郵便受けに一通の封書が届いていた。私が地味に広報ボランティアをしていた滋賀県の県立芸術劇場“びわ湖ホール”からのもので、公演か自主交流会の案内だと思って中を見ると、「緊急署名活動のお願い」とあってドキっとした。

大阪府の財政改革を見ていて嫌な気持ちになり不安には思っていたのだけど、それでも驚いた。

びわ湖ホールの運営予算は、県の平成20年度予算案で前年比1億1千万円減。その予算案に対して出された修正案には「ホールを半年間休館して新たな管理者を公募する」というような話まで盛り込まれているらしい。狡いな、と思うのは、そうして削減された予算を「医療費の補填に回す」という言い訳で、それだけ聞くと人はどうしても「芸術活動よりは医療活動が優先だろう」と思ってしまう。冷静に考えるとこれは大きな落とし穴で、何故「医療費」のために削られるのが「びわ湖ホールの運営費」でなければならないのか、というそもそもの疑問から巧妙に人々の目を逸らしてしまう。

もし民間企業が名乗りを上げればびわ湖ホールが「芸術の城」ではなく「道楽の城」になることは明らかで、すべての公演は商業的な採算ベースでしか企画されなくなるだろう。オペラもバレエもメジャーなキャストのメジャーな演目だけ。毎年『フィガロ』と『白鳥』で、クリスマスには『くるみ』で年末には第九、実に憂わしい。

芸術は贅沢品ではなく必需品だ。サイモン・ラトルのその言葉に私は思わず涙ぐんでしまう。そして、芸術は商売ではない。芸術の目的は、金銭としての利益ではない。商業的成功ということは、芸術にとって前提にされてはならないのだ(だって曽田正人の漫画『昴』でプリシラ・ロバーツが言い放っていたように、「連中はヴァン・ゴッホを理解せず、キリストを十字架に掛けたのよ!」)。

芸術はひとつの学問であり、そして感情を揺さぶる何物かだ。決してマクドナルド化してはならない最後の砦だ。それがじわじわと侵食されてゆくのを、私は黙って見ていたくはない。

ということで、主旨に賛同して頂ける方がいらっしゃいましたら、ぜひ署名活動にご協力ください。どこのどなたでも構いません(滋賀県在住か否かはまったく問われません)。予算特別委員会の採決が19日(水)なので、あまり時間がありませんが、署名は一人分でも二人分でも構いません。一次締め切りが15日(土)で、郵送またはFAXで「びわ湖ホールを応援する会」まで。署名用紙は下記URL「びわ湖ホールを応援する会」からダウンロードできます(または私がいつも持ち歩いていますので、身近な方はサトまで)。送付先も同URLで確認できます。

「びわ湖ホールを応援する会」
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