la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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面倒なので、無題
途方もなく眠いのに、気持が昂ぶってとても眠れない。

というわけで、ワインの備忘録ふたたび。

昨日は「イタリアの赤」がテーマの勉強会(兼クリスマス飲み会)。バルベーラはガメイとそっくりだけどチューインガムの香りがしない。ネッビオーロはピノに似ていて私にはたぶん区別がつかない。プリミティヴォは香りはシラーっぽい(黒い土と鉄錆)けど舌の上で軋む感じがなくてぼわんとした厚みがある。ネッビオーロ(バローロ)と区別がつきにくかったのは多分、樽由来の解りやすい個性に気を取られてしまったから(本当は他に共通点なんてないのかも)。

ともかくも、ブラインドでワインを飲むことがこんなに楽しいとは思ってなかった。新世界のシャルドネとソーヴィニヨン・ブランの見分けかたはグァバの香りの有無(あれば後者)。シュールリーのアミノ酸は昆布ダシの舌触り(私はまだまだワインのことを知らない。けれど、知りたいと思う気持ちは、きっと誰にも負けない)。

どんなワインにも物語の気配があり(誰だ、「ワインなんてどれも同じ」なんて言うヤツは?)、私はその物語に引き寄せられるように酩酊する。

本当は、テイスティングで酔っちゃいけないんだけどね。
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長方形にはひとつ足りない
今日、仕事中に見つけたもの。

「長方形」という名の商品が「ひとつ足りない」という理由で売り物にならなくなったと、手元に届いた紙にそう書き込んであった。何となく奇妙に思った私は、メモ用紙に「長方形にはひとつ足りない」と書き込んで、それをポケットにしまった。

長方形というのはふつう、ひとつで「長方形」だと私は認識していて、何か複数のものが寄り集まって「長方形」を形作っているとはなかなか考えない。いったい、何が足りなくてこの「長方形」は売れなくなってしまったのだろう。

もしかすると組み立て式の箱か何かで、六枚なければならない板が一枚足りないということなのだろうか。でも「直方体」ではなく「長方形」と書いてあるからには、立体ではなくて平面に近いものなのだろう。

これがもし数学上の問題なら、長方形には頂点と辺とが四つずつなければならなくて、例えば三角形にはどちらも三つずつしかないから「長方形にはひとつ足りない」ということになるのだけれど、現実に三角形を前にして「長方形にはひとつ足りない」と考える人はまずいないはずで、だとするとこの「『長方形』から何かひとつが欠けてしまった商品」は「三角形」ではないのだろう。

もしかしてこの「長方形」は複数の形から成る「長方形」で、何か子ども向けのパズルのようなものなのだろうか。

「長方形にはひとつ足りない」。
真実は謎に包まれている。
Now here, No where
「いまのわたしを傷つけられるのは他人だけだ。」
(『ミスフォーチュン』ウェズリー・ステイス)


ミスフォーチュン。
Misfortune=不運、不幸。
Miss fortune=幸運の娘。

これは、ゴミ捨て場で拾われた一人の赤ん坊の物語だ。「ディケンズ風サーガ」と銘打たれていても私はディケンズは『クリスマスキャロル』しか知らないので、とりあえず「シェイクスピアをさえ思わせる」という評にだけ頷いておこう。

その赤ん坊を拾ったのは名門貴族ラヴオール家の当主。亡き妹の生まれ変わりと信じてローズと名づけ、自らの嫡子=次代のレディ・ラヴオールとして大切に育てる。「幸運の娘」として何不自由なく暮らし、やがてラヴオール家の家督を継ぐはずのローズだったが…。
ローズの三つの秘密のうち二つまでは、ローズが知るよりも先に物語の最初で読者に知らされている。だが、幼いローズはそれを知る由もなく。

成長するにつれて深まるローズの戸惑いと疑念、そして残酷な真実の暴露。
「幸運の娘」の人生は一夜にして暗転する。
そこで経験される狂気と紙一重の苦悩と絶望は、あまりにも痛々しい。ローズ・ラヴオールが立ち向かわざるを得なかったのは、失われたアイデンティティを取り戻すための戦いではなく(ローズがそれを始めるのはずっと後になってからのことだ)、既に確立していたアイデンティティを殺すための戦いだったのだ。

だが幸い、この物語にはあらかじめ幸福な結末が約束されている。
物語そのものが、年老いたローズの回想として語られているからだ。
一人称で綴られたその長い物語の終盤、文中に突然「おまえ」という単語が混じる。読者はそこで初めて、物語には語り手であるローズの他に「聞き手」が存在していたことを知る(それが誰かはここには書かない)。

巧妙なプロットに脱帽。悪役の意地悪っぷりはどこまでも最低。敢えて欠点を挙げるとすれば、十九世紀の英国という時代の匂いがあまり感じられないことだろうか(もしかするとこれは訳文のせいかもしれない)。そういう点で言えば、アンソニー・ホプキンス主演で映画化されたカズオ・イシグロ『日の名残り』に軍配。

とはいえ、この『ミスフォーチュン』、映画化を期待しているのはきっと私だけではないだろう。
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