la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
起こらなかった出来事が、いつもいちばん慕わしい
「The soul selects her own society   /
then    shuts the door   
(魂は自分の社会を選ぶ   /それから   扉を閉ざす   )

(『対訳ディキンソン詩集 アメリカ詩人選(3)』亀井俊介編)


エミリ・ディキンソン。
彼女について語ることは、純化された自己について語ることだ。

さて、ディキンソンが「The soul」の代名詞所有格に「her」を用いているためにこの「魂」はディキンソン自身の魂を指すという解釈が一般的らしい。自分の社会を選んでその内側から扉を閉ざし、その他大勢の前には二度と姿を見せず、馬車が止まっても皇帝が跪いても動じないというその「魂」のあり方は、確かにディキンソン自身のものだ。けれど、この「The」と「her」との組み合わせに、私は虚を突かれるような思いを味わう。この「魂」がディキンソン個人のものならば「The soul」は「My soul」と、「her own society」は「my own society」と書かれるのが自然ではないのだろうか?

ディキンソンは何故、自らの魂について、まるでそれが別個の人格を持ったものであるかのように表現しているのだろう。そういう奇妙な距離感/乖離感を示しながら何故、その魂を「it(it’s)」ではなく「she(her)」と言い換えたのだろう。本当に、この「The soul」はディキンソンの魂だけを指すのだろうか?

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閑話休題、その2
確かに、葡萄の樹は砂利だらけの痩せた土地で育てた方がいい実をつけるかもしれないけど。
でも水と太陽と肥料でもって大事に育てるべきものもあると私は思うんだ。

ああ、疲れたなぁ。

でもこんなに月日があっという間に過ぎるんなら、きっと人間の一生なんてそんなに長いものでもないんだろうね。

次の休みには、絶対そば粉のクレープを焼こうっと。長年の憧れなんだもん。
若緑のヘンゼル&グレーテル
「多くの種類は、実が成熟するにつれて緑から赤へと色が変わります(ピーマンも赤くなる)。」
(『コンテナで野菜づくり』武川政江 監修)


ピーマンも赤くなる。…いや、それだけなんですけど。私、今まで知らなかったものでびっくりしました。

この本は、読んで字のごとく、ベランダやテラスでの野菜の育て方を解説してある本だ。ソフトカバーでそんなに分厚くもなく、クリアな写真がたくさん載っていて、ミニ野菜図鑑みたいな趣き。眠れぬ夜の徒然にパラパラめくるのにもちょうどいい…のだけれど、いつしか夢中になって熟読して、却って夜更かししてしまったり。

「間引きが不十分で株が込みすぎていると、軸が太りません。」「植えつけは適期を守り、あわてて早く植えないことが大切です。」丁寧な語調でそんな風に教えてくれる。

ピーマンを「あわてて」植える人なんかいるのかな、と思ってちょっと微笑ましい。この語り口、何だか懐かしいような変な気持ちがすると思ったら、監修者が元小学校教諭。なるほど、優しくておせっかいでちょっと野暮ったい、中年の女性教諭の口調だ。

頂きもののミニトマトがあんまりうまく育てられなかったので、今は実モノは敬遠して葉モノに挑戦中。ターサイ(小松菜の仲間の中国野菜)の芽が今朝出たばかり。ベビーリーフ(サラカルトとかムスクランとかいう名前で種が売ってます。ルッコラやサニーレタスの仲間が何種類か混じって生えてくる)は間引いても間引いてもどんどん繁茂するので重宝です。

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↑即席の和風冷製パスタ。茹でて冷水にとったスパゲティ(細めのもの)と、ツナ缶とスライスオニオンとベビーリーフを市販のポン酢で和えるだけ。お好みで削りぶしと海苔をプラス。
秋ゴコロ、旅ゴコロ
「わたしたち誰にとっても、落着く場所などないのかもしれない。ただ、どこかにあるのだということは感じていてもね。もしその場所を見出して、ほんのわずかの間でもそこに住むことができたら、それだけで幸せだと思わなけりゃ。…」
(『草の竪琴』トルーマン・カポーティ)


わけもなく胸騒ぎがする。
風が冷たいのだ。
淋しいのかと初めは思った。ここ数日、立て続けに「知らない家に住んでいる夢」を見て、夢の中の家は不安定に積み上げられた貨物列車のコンテナの最上階だったり(梯子で上り下りする)、間取りの見本のような天井のないスチレンボードの家だったりで、ずっと住んでいるはずなのにシャワーの使い方が解らなかったりもする。私はそれを潜在的なホームシックの表れだと解釈していたのだけれど、どうやらそうではないらしい。

そういう夢の中で、私はそれらの家を何やら胸躍る隠れ家のように感じていたのだ。不安と綯い交ぜになった高揚感が確かにあって、それを思い出した時に「ああ、これは毎年恒例の秋の行事だな」と私は気がついた。

「如才なく心震わせる秋は嫌い」だと書いたのは吉野朔美だったっけ。
微かに、レイ・ブラッドベリのイマージュ。
それから何故かヴァージニア・ウルフ。

荷造りをしなくちゃ。
切符を買って、列車に乗ろう。
行き先はもう決まってるんだもの。

旅に出るのは、水鳥が羽を広げて飛び立つのと似ている。
たぶん、首を伸ばして空に向かうその姿だけではなくて、後にする水面に少しばかり波紋を残すところも。

そう、けさ私の部屋に忍び込んでいたのは、あの高原の空気だった。
フィールド・マジックという名の、蓼科のハーブガーデンをそのまま閉じ込めたようなハーブティー(陽だまりに草いきれをひと欠片、それに木立を抜けてきた微風を少し)を淹れて、ゆっくりと時間をかけて飲む。

それでも私の心は鎮まらない。ますます、強い郷愁が私をそこへ引き戻そうとする。

そしてインディアン・サマー。
今は旅をすることの叶わぬ身に、今日の空はずいぶん罪作りな色をしていた。
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