la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
湖をわたる風
ワインの備忘録として。

久しぶりに(参院選の投票のために)実家に帰ったら、夕食前にグラスを二つ並べられて、品種と生産国を答えろと言われる。ブラインドで白が二種類。

ウチはいったい何屋なんだ。そして私は遠峰一青ではない。

ひとつめはほとんど透明に近い、何色ともつかない淡色。
北イタリア、ソアヴェあたりかな、と思ったのだけど、それにしては粘性が高い。
川底の砂の匂い。
それから…グァバ。
うん、そう、グァバの香りがする。
口に含むと、甘口ではないけど、甘さを感じる。
それと、かすかな苦味。

どこか知らない産地のソーヴィニヨン・ブランかと思ったのだけど、答えは「甲州」だった。
メルシャンの勝沼ワイナリーが造った、玉諸の地ワイン。

そしてふたつめ。
色はかなり濃い黄金色。
香りは…甘く熟したマンゴー、パパイヤ。もろに、こってりトロピカル系。
それにつられて南の産地を連想してしまう。チリのシャルドネ?
でも意外に粘性が低いので混乱する。
今まで飲んだ中でいちばん近いのはアルザスのピノ・オーセロワ。
あまりの長考に、生産国はドイツだと教えられる。
それでも代表的な品種は消去法で消えてしまって、後には何にも残らない。
ひたすら混乱する。

正解はフランケンのミュラー・トゥルガウ。
辛口に仕立てられたミュラー・トゥルガウは確かに初めてで、そのワインをその品種の典型だと理解していいものかどうか、まだ解らない。

両方とも「解るか!!」と絶叫しそうになったけど、うん、とっても貴重な体験でした。ありがとう。
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パブリック賛歌
「投票日は7月29日(日)です/必ず投票しましょう」
(『参議院比例代表選出議員選挙公報』選挙管理委員会)


親切なことだ。
我々に「選挙権」なる権利を与えてくれて、なおその権利を「行使しましょう」と丁寧に呼びかけてくれる。
言われなくても行くよ。
今回の参院選は大事な大事な選挙なんだから。

でもまた何だか厄介な新政党が出現していて、ああ改憲反対票が割れるじゃないかと思いながら、比例だけ考えればそんなに問題じゃないのかなとか、護憲派ながら垢抜けない政党には投票したくないって人の票がある程度まとまるのかなとか(いいのか「確かな野党」なんて枕詞をつけちゃって? F1で「最高のセカンドドライバー」って名乗るようなもんじゃないのか?)、あからさまに悪代官顔の党首が率いてる大政党の票が幾らかでもそっちに流れればいいなとか、勝手なことを考えている。

法律で禁じなきゃ戦争(或いは戦争に荷担)しちゃうってのも情けない話だけど、都心の改憲派が支持するいちばんの候補者がドクター中松ってどうなのよ。どれだけの人がドクター中松を(その顔とか発明品じゃなく、政治を)知って支持してるんだろ。私は選挙区違うし興味ないから知らないけどさ。

「なんか面白いことやってくれそうだから」ってよく聞く言葉だけど。
政治って面白さで評価するもんなの?

昨日、職場で立派な有権者から「選挙って、行かないと駄目なんですか?」と質問された。
あのね、君は「行かないと駄目」なんじゃなくて、「行かせて貰える」んだよ。
もちろん当然の権利なんだけど、同時にそれはすごいことでもある。
だって国の政治を決めるために、君の意見を聞いてくれるんだよ。
答えなくてどうするの。

それから、「自分が投票に行ったところで政治が変わるわけじゃないし」と、賢いフリして冷めたことを言ってる人。もし有権者の一票で政治が変わらないなら、なんで候補者が必死になって街頭で選挙運動するわけ?

だからせめて選挙公報には目を通して(君のおうちにも届いてるからね)、「難しくって解らなーい」とか言って放り出さずに(日本語で書いてあるんだもん、読めるよ大人なら)、しっかり考えて、少しでも共感できる候補者/政党を見つけて、ちゃんと投票しようね。
酔いどれストレイ・シープ
「ぼくは仕事しながらときおり自分自身が遺失物みたいな気がしてるんだよ」
(『遺失物管理所』ジークフリート・レンツ)


あまりにも眠れない夜が続くので薬を貰いに行こうかとも思ったのだけど(誘眠剤ではなく抗不安薬)、代わりにヒプノティックを買って来て飲んでいる。
20070719212803

フランス語で「催眠」という名のリキュール。青いのはボトルの色かと思ったら「青色1号含有」とのこと。眠気を誘うというよりは食欲を減退させる色。

味は…ぼんやりトロピカル。甘酢っぱ苦い。予想したほど不快ではない。鮮やかな液色と相まって、眠りよりはよく晴れた夏の朝を思わせる。三日月っぽくレモンを添えてはみたものの、ぜんぜん夜らしくならない。

今更だけど、こういう不自然に小洒落た飲み物、私は好きじゃないっす。
夢を夢見る夜
「『タフって知ってる、罵倒語の一つだ』」
(『敵は海賊・正義の眼』神林長平)


たとえば殺人鬼がひとりいたとして、その人格や犯罪の動機や何かについて世間ではよく「まったく理解できない」といった表現が繰り返されるけれど、その言葉は本当は、理解ができないのではなくて共感ができないという意味だ。
理解を超えたものなんて、この世にはそうそう存在しない。
それにしても知ってました? 「先進国」と呼ばれる国の中で死刑制度があるのは、日本とアメリカの50州中37州くらいなものだって。

つまり日本人は「合法的殺人」という言葉よりも「あんなヤツ死んで当然」という言葉のほうに、簡単に共感してしまうわけで。
そんな風な、背筋が寒くなるような(ほとんど殺人鬼と同じ)言葉を、人は平気で他人に向けるわけで。

どうやら私に求められている「強さ」は、あらゆる思想的強姦に無関心になることで。
理不尽な要求に口を噤んで耐え、自分を殺すことで。
結局それがお前のためになるんだから、と、人は言いくるめようとするけれど。

無理解と悪意とに侮蔑と嘲笑でもって応えるのは、果たして強さと言えるだろうか。
もちろん、答えはNO。
タフ、すなわち馬鹿で鈍感ということ。
アプロ(注1)の言う通り、それは罵倒語だ。
迷える仔羊たちの輪舞
「おれはおれの活計(くらし)のために鯨を殺そうと、こんな危ない海へ出ているので、鯨の活計のために殺されようと出て来たわけじゃない」
(『白鯨』メルヴィル)


菜園♪

 ↑
プチトマト植え替えました。


引用は本文に関係なく、すべての働く人たちのために。

さて、方向音痴を自称する人は世の中にたくさんいて、誰もが自分の方向音痴がいちばん酷いと思っている。私もまたその例外ではなく、さすがに地図を持っていれば迷うことはないが、平面図と立面図を相関させるために地図を目の高さまで持ち上げて向こう側へ傾けたり、視点と方角を一致させるために曲がり角をひとつ曲がるたびに地図を水平に九十度回転させたりするので、同行者を案内するような場合はとても嫌がられる(恥ずかしいからやめて、と言われるが、他にどうしようもない)。

方向音痴にも幾つかのタイプがあって、戯れに分類してみると

①何も考えずにとりあえず歩き出してしまう。
②疑いながらも歩き続けた結果、とんでもない場所に出て途方に暮れる。
③正しいはずの道順をどこかで間違ってしまい、どこで間違えたのかが理解できない。
④正しい道順を知っていながら、近道をしようとして袋小路に入る。
⑤迷うことを必然と捉え、迷わないことにではなく迷うことに備えている。

となる。

①いわゆる「天然」の人たちは、意外にすぐ自分の間違いに気づく。はっと我に返って周囲を確かめるので、とことん迷って困り果てることは稀だ。ただし、ここには「偶然は常に自分の味方だ」と考えている非常な楽天家(すなわち確信犯的な方向音痴)も含まれるので、そうなると、迷惑するのはたまたま通りかかった新聞配達夫やタクシーの運転手である。
②このタイプの人々は常に「犠牲者」である。報われない努力をひたむきに続ける傾向があるので、こういう人々には常に誰かが寄り添って正しい方角を指し示すべきかもしれない。自らが加害者になることは滅多にないが、稀に、自滅に他者を巻き込むことがあるので注意が必要。
③自分は正しいと信じて疑わない、最もたちの悪い方向音痴。彼らは往々にして、間違ったことに気づいても戻ってやり直そうとはしない。さらには「似たような家ばかり並んでいるのが悪い」等々、他罰的な発言をするので始末に負えない。
④いわゆる「横着者」の類である。ただし、反省することを心得ていれば愛すべき存在になり得る。この種の人々は仕事においてある程度、有能であることも多い(横着は合理化の親戚のようなものだからである)。見かけたら手を差し伸べたい。
⑤用心深く、己を弁えた方向音痴。①の確信犯的方向音痴に含まれそうでいて決定的に異なっているのは、この人々が決して楽天家ではなく、限りなく悲観的な運命論者だという点だ。謙虚だが向上心に欠け、備えがあるので迷っても他人に迷惑はかけないと思われがちだが、備えそのものが「携帯電話はフルに充電しておく」という他力本願なものだったりする。

さて、原因はどうあれ、迷う人は迷う。どこででも迷う。
アフォリズム風に言うならば、「方向音痴とは、自分の現在位置を見失いやすい人々のことである」。彼らにあって、見失われるのは常に「現在位置」であって「目的地」ではない。たとえばサンテミリオンからポムロールに(注1)行こうとして道に迷ってしまった場合、解らないのはポムロールがフランスのどこにあるかではなくて、自分が今どこにいるかだ。ひょっとすると既に自分はポムロールにいるのかもしれず、逆に、方角を間違えて衛星地区(注2)のどこかにいるのかもしれない。葡萄畑に踏み込んで収穫間近の葡萄を一粒失敬して味見をしてみたって、それがオーゾンヌかペトリュスか(注3)、はたまた「何とかサンテミリオン」の無名シャトーかの区別はつかない(それどころかメルロかカベルネか(注4)の区別すらつかない)。

我が身を省みるに、①から⑤までのすべてに当てはまりそうな気がするが、限りなく①と②に近い⑤だと思う。ともあれ見失っているのが目的地ではなく自分の現在位置なのだ、という発見は、私にとって非常に意外な、また有益な発見でもあった。

私は今どこにいるのか?
驚くべきことに、私にはそれが解らないのである。
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