la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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劇場サポーターレポートのための原稿、その2
「ご機嫌なチェリストと素晴らしい仲間たち」

5月17日 ストラディヴァリウス・サミット・コンサート2007
(大阪のザ・シンフォニーホールにて)

初めて行った2003年以来、すっかり二年に一度の恒例行事になっている大好きなコンサート。

ベルリン・フィルからの来日メンバーは一昨年と同じ顔ぶれで、前回ものすごくやる気のない弾きっぷりですっかり私を魅了した気分屋?チェリストのルードヴィッヒ・クヴァントは、今年は終始ご機嫌でした。アンコールの曲紹介の時にチェロをくるくるっと回したりして(ストラディヴァリをそんな無造作に!!)、とっても楽しそうな様子。
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決して余剰品ではなく
「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか?」
(『海の仙人』絲山秋子)


若干、今さらな感じのする選択。
…まあ、読んだのはずいぶん前(文庫化直後)なのだけど。

宝くじに当たって仕事を辞め、海辺の町の古い一軒屋を買い取ってリビングに砂を敷き詰めて暮らす男。「海の仙人」というのはその彼の家へ転がり込む(役立たずの)神様のことかと思っていたのが、作中で「仙人」と呼ばれるのは神様ではなくて主人公の方だ。
役立たずの神様は「ファンタジー」と呼ばれ、白いローブを着ていて、カレーが好物で、海で泳いで、人に車を運転させて自分はビールを飲んでいる。そして、この居候“神様”こと「ファンタジー」は、所詮「ファンタジー」なので現実に奇跡は起こせないし、また、起こす気も全然ない。

現実からやや浮遊した趣のある、“人生の休暇”的な物語。けれど、中盤からは徐々に、主人公の恋愛を軸に不治の病とか幼少期のトラウマとか、何やら生々しい話になってゆく。それにつれて、牧歌的な居候だった「ファンタジー」の存在も、手の届かない救済、という、切実な痛みを帯びたものへと変化する。
巷に雨の降る如く
「死ぬのは怖くない。何も怖くない。(中略)あの世に何があるのか見に行ったほうがいい。映画を見に行ったり、市の見世物小屋を見に行くようなものさ」(『ヴィスコンティの遺言』コスタンツォ・コスタンティーニ)

20070510210506

緑色の、グミのような芽が出る。
はずだったんだけど、何だかザリガニのハサミみたいな芽が出てきた。
これ、無事サボテンに育つのかな。

水をたくさんやって日光浴をさせろと書いてあるので、とりあえず、明日は晴れるといいな。

うん、確かに死ぬのは別に怖くないんだ。だけど、死ぬのに伴う痛さとか苦しさが怖いんだってば。
猫たちの跳躍は・・・
「島のネコたちは、そんなヒトの暮らしにつかず離れず、それぞれのテリトリーで、ネコの気持のままに自由に歩き回っている。」
(『地中海の猫』岩合光昭)


数日前、「写真集」と名のつく本を初めて買った。

元来、ヒトを「癒す」ことを目的として撮られた軽薄な動物写真の類いは嫌いなたちだ。大半の哺乳類が何故これほど「ヒトから見て可愛らしく」進化したのかはさておいて(特にパンダ。クマであるところの君たちにそんな愛らしい模様が必要なのか?)、イヌやネコはヒトを癒すために生きているわけじゃないし、彼らの写真に「風が気持ちいいワン♪」だの「おなかがすいたニャ~☆」だのと馬鹿げたキャプションがくっついているのを見ると、脳味噌が膿みそうになる。

もとい。
この『地中海の猫』は、そういう写真集では全然ない。
岩合光昭は、おくづけによると「地球のほとんどの地域を取材し、野生動物を中心として大自然を撮り続け」ている写真家だ(『ナショナル・ジオグラフィック』の表紙を飾ったりもしているらしい)。そのカメラが切り取っているのは、愛玩動物=ぬいぐるみとしての猫ではなく、「けもの」としてのネコだ。視点は飽くまでも低く、カメラがネコたちを見下ろすことはほとんどない。大抵ネコたちの視線と同じか、むしろそれより低いくらいだ。

ギリシアで、スペインで、トルコで、エジプトで。ネコたちは歩き、眠り、遊び、何かを見つめ、そして跳躍する(鮮やかに)。ヒトに飼われているネコも、そうでないネコも、しなやかで、凛として、強く、したたかだ。

ギリシアの小さな島で、白亜の建物の塀から塀へと跳ぶ二匹のネコ。カッパドキアの奇岩群を背景に、馬車を操る女性の民族衣装にしがみつくようにしている白黒の子ネコ。ラバト(モロッコ)の路地で、早朝の日差しを背にして尻尾をもたげる砂色のネコ。ヴェネツィアの煙草屋で、束ねられた新聞の上にアゴを乗せている雉虎のネコでさえ、はっきりと獣の顔をしている。

そんな写真集を眺めているうちに、私は不意にアン・モロウ・リンドバーグを思い出した。彼女は飛行機から地上を見下ろした人だけれど、彼女の持つ「世界への視線」が、この写真家と少し似ているからだろうか(それとも、写真に写っているネコたちと似ているのだろうか?)。

そう、ツバメの舞うこの季節に彼女の本を読むのは、きっと素晴らしいだろう。

そんなふうに、一冊の本から別の本へ、猫たちの跳躍をイメージしながら、私は跳んでみる。残念ながらあんなに身軽に、というわけにはいかないのだけど。
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