la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
放浪する魂は何処へ・・・
「君は歩きに歩く。君は時間から、時間は君から去ってしまって、君は散歩から時間通りに戻ってくることは決してないだろう。」
(トーマス・マン『魔の山』)


「あてもなくふらふらと旅に出たい、どこかをさまよいたい」という欲求は、私の中にとても強く存在している。実際にはほとんど放浪してないので「放浪癖」と呼ぶと語弊があって、たぶん「放浪欲」と言うのが正しいのだと思うけれど、「欲」という言葉にもどこか違和感を覚える。

晴れた空を見て気もそぞろになってしまうあの感じ、不意に冷たく冴えた高原の空気を思い出して、身体が浮き上がりそうなくらいの切ない懐かしい気持ちに襲われるあの感じ、サンドイッチを見るとエゴン・ミュラーのいちばん安いリースリングのボトルが脳裏にちらついて・・・というのは、これはまた別の欲求か。

けれども、あてのない旅をするには私はあまりにも小心者なのだろう。未だに、行き先も日程も決めない旅、というのは国内ですらやったことがない。

「行きて帰りし物語」ではないが、やはり、帰る場所があるのとないのとでは旅の様相はまるで違ってくるはずで、スナフキンがスナフキンでいられるのは、そこにムーミン谷があるからなのだと思う(スナフキンは「帰ってくる」のではないけれど、それでも、そこは彼にとってひとつの故郷ではあるのだろう)。
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劇場サポーターレポートのための原稿
びわ湖ホール(滋賀県立芸術劇場)の広報ボランティア“劇場サポーター”の月イチのレポート提出のために書いた原稿です。
ほんとは月イチ出さなきゃならないのだけど、怠慢でかなり久しぶりだった。
びわ湖ホール、いいとこです。オペラとダンス(モダン~コンテンポラリー)のラインナップが豊富だと思います。その他、室内楽、声楽、演劇、等々。
びわ湖を一望できるホワイエ(ロビー)はすっごく気持ちいい!ので、ぜひ一度訪れてみて下さい。

「不機嫌なオルガニストと貪欲な観客たち」
ふしぎないきもの
  自分の取り扱いに、難渋している。」
(梨木香歩『家守綺譚』)


普段は翻訳文学一辺倒の私だけれど、近頃どうも日本人作家のものを読む機会が多い。近所の図書館の海外文学の棚をもうだいぶん見飽きてしまったのと、自力で新しい本を発掘するための磁場が多分、今ちょっと弱っているのだと思う(おかげで人から勧められた本を素直に読めるので、これはこれで実りの多い経験だ)。

で、職場の人に勧められて読んだのがこの『家守綺譚』。
床の間の掛け軸から死んだ友達が訪ねてきたり、庭のサルスベリに懸想されたり、疎水から池に河童が流れてきたりするのを、主人公は控えめに驚き怪しむのだけど近所の人たちにとってはそれがごく当たり前の出来事らしくて、ぐにゃぐにゃした海藻のようなものを「河童の抜け殻に決まってます。」と教えてくれたり、小鬼が出たのを「今日はもう啓蟄ですから。」と説明してくれたりするのが可笑しい。
そういう「ふしぎないきもの」の認識のしかたは畠中恵の『しゃばけ』シリーズや、漫画で言えば波津彬子の『雨柳堂夢噺』とか冬目景の『風車館来訪記』を思わせるのだけど、断然、これは秀逸。

冒頭の引用は、死んだ友人から「  ふさぎの虫に取り憑かれているな。」と声を掛けられたときの主人公(というか語り手)の返事。「自分の取り扱いに、難渋」するという感覚が、今の私にひどくしっくりと馴染む。それに対して友人はこう応えるのだ。「  大気がこれだけ騒ぐといろんなものが出てくるのだ。」と。
なるほど、今は大気が騒いでいるのだということにしておこう。

久しぶりに、読み終わるのがもったいなくて途中でむりやりパタンと閉じる、そんな本に出会った。枕元に置いておいて一晩に一話ずつ眠る前に読む、というのが理想的なのだけど、つい読み急いで、二泊三日くらいで読了。


遅すぎることを誰も知らない
「Nobody knows it’s too late」
(LOVE LOVE STRAW 『JOE COOL』)


 こういう考え方は馬鹿げているので止めなければと思うのだ。
 何か良いことがあるとさて代償は何だろうかと思ってみたり、
 良くないことがあるとそのうち良いことがあるさと思ったり。
 非現実的な思考だということは解っているのに本気でそう考えている自分が、血液型占いとか星占いに一喜一憂する「女のコ」みたいで非常に恥ずかしい。

 何故そういう話になるかと言うと、最近、十年以上まばらに探し続けていた廃盤のCDを、たった三日のあいだに立て続けに発見してしまったからなのだ。
 一枚は、上野洋子が脱退する前のZABADAKのアルバム。
 もう一枚は、今はなきLOVE LOVE STRAWのアルバム。
 ちなみにインターネットでそういう探し物をするのは卑怯な気がして(またまた、巡り合わせ、とかいう「女のコ」的思考だ)、私はそういう効率的なやり方を拒んできた。

 ところで、全国津々浦々のブックオフでは、ちょっとマイナーなアーティストになるとアルバムのタイトルとアーティスト名の取り違えなんかは日常茶飯事、どの店でもソフト・バレエというパンクバンドのアルバムが必ず「クラシック/バレエ音楽」の棚にあるのもご愛嬌。
で、多分、彼ら(ラヴラヴストロー)のインディーズ時代のアルバム『FLAME ON』が250円で投げ売りされることになったのも、「ら」でなく「ふ」の棚にそれがあり続け、誰にも発見されずにいたおかげで。私は私で、フリーノートという最近のバンドの『ピアノを弾いて』とか何とかそんなタイトルの曲をちょっと聴きたいかもと思って「ふ」の棚を見ていて、そこで不意に、『LOVE LOVE STRAW』の文字を見つけたのだ。

 1998年発売のアルバムなのだけど、アンケートはがきとステッカーがキレイなままで入ってた。待てば海路の日和あり、というけど、私は今『FLAME ON』を聴きながら、代償が怖いなあ、とかなり本気で考えている。
希望と絶望/翼のない天使と尻尾のない悪魔
「嘘とぎりぎりのところで均衡を保っている真実」
(『河岸忘日抄』堀江敏幸)


 待つこと。待ち続けること。それは常に、裏切られるかもしれないという恐怖と叶えられるはずだという期待との、危うい綱引きだ。それでいて自分から行動を起こすことをしないのは、意気地の無さというよりはむしろ、事柄の不可能性と己の無力を意味する・・・つまり、それが私の思う「絶望」ということ。

「チェーホフにはチェーホフの思想があったはずだが、イワン・イワーヌィチが表明している、待つことにたいする一種の恐怖感は、あれやこれやの具体的な行動ではなく、もっと抽象的で、心のなかの逃避と紙一重の、じつにきわどい欲望を意味するのではないか。」
 堀江敏幸はそう書く。丁寧に自分の思考をたどりながら、慎重に選び取った言葉を、込み入った文法の上に並べて。

堀江敏幸、という名前を私はフランス文学の翻訳者として認識していたので(そしてしょっちゅう柴田元幸と混同していたので)、小説を書いて何だかたくさん賞を取っている、と知った時もあんまり食指が動かなかった。『熊の敷石』を読んで面白いとは思ったのだけど、友人がこの『河岸忘日抄』を勧めてくれなければ、それ以上読むことはなかったかもしれない。

いかにも翻訳者らしい、きっちりと意味を突きつめて選択された言葉。異邦人としての自己と他者。観察と所見、心地良い思考のうねり。チェーホフ、タルコフスキー、メルヴィルetc…私が大学時代に初めて見出し、以来ずっと親しんできた風景の断片。

図書館で借りて、返して、そう言えば最後まで読んでなかったっけ、と思って数日前にまた借りて、でも読んでみたらやっぱり最後まで読んだ記憶はあって、でもとりとめのない独白に似た物語はまだ私の中で続いていて。

これは、欲しい本だ、と思った。

私は単行本を買うことは滅多にない。読んでみて気に入って装丁も良くて、ずっと傍に置いておきたいと思った本だけ買う。そういう読書生活をずっとしてきている(単に、お金があれば本より先にワインを買ってしまうからなのだけど。本は図書館で貸してくれるし古本屋さんもあるけど、ワインはそうはいかない)。

間違いなく、私は近いうちに『河岸忘日抄』を買うだろう。そして折に触れて読み返し、注意深く綴られたその言葉を、繰り返し呟くだろう。
後天的抜栓禁止?
ボデガ・ファミリア’96(チリ、ウンドラーガ)再び
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 年末に不良在庫を救出して、数日前、抜栓を試みたのだけれど。
 キャップシールを取ってみたら液洩れもなくて意外にキレイだったので、ひょっとしたら、と期待したのだけれど。

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 結果はこのザマでした。
 ある意味、見事な抜栓(笑)。
 瓶の内側にコルクの外側が、糊で貼られたみたいにピッタリ貼りついてて、ピンセットでペリペリはがす羽目に。
 木屑だらけのワインはやっぱり木屑の香りがしたけど、でも、熱劣化はしてなかったんだ。
 
 ウンドラーガ、いつか、若いヴィンテージと会ってみたいね。
閑話休題
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これは'92バローロの澱です。
できたての赤ワインの棘々しさが、歳月を経てこうやってザラザラの黒い澱になって瓶底に沈んで、上澄みは丸く優しい味になるのです。
それにしても、甘い香りがするんだねえ。

…でも、ちゃんとデキャンタージュして飲むべきでした。
嘘とコトダマ/断じてサンタナではなく
「銀色の折り紙折って 戯れに作った子馬をあげる
タンバリンをふいに鳴らして 浮かれたテンポのメロディーをあげる・・・」
(『charms』作詞:田村キョウコ・砂田和俊)


SANTARA(サンタラ)というユニットの歌が、特に歌詞が、とても良い。優しくて、鋭くて、繊細で、時に病んでいて、時に図太くて。

「空腹な男の姿はなんてロマンティックで惨めだろう」(『ROW THE BLUES』)とか、
「過剰な心配性は決まって損をする」(『美しい人』)とか、
「でも失くして後に気付くのも、それもね、ロマンスだよね」(『写真』)とか。
サヴァイヴ!
「だから、戦える魂だけ、ここにおいで、って。」
(木地雅映子『氷の海のガレオン』)


 最初、ファンタジーかと思って手に取ったのだ。書店でタイトルを見て。それから最初の数行を読んで、『十二国紀』みたいな物語なのかと。
 そしたら、全然違った。
「生っちょろい子供なんかいらない。そんなのは、厚化粧した女の腹にでも宿るがいい」。
 主人公・斉木杉子の母親が、杉子の兄にあたる第一子を妊娠したときの言葉だ。
「戦える魂だけ、ここにおいで」。
 受け継ぐものは決まっている。こどもは両親も場所も環境も選べない。けれど、すべてのこどもは、そうやって生まれてくるのだ。
「だから、戦える魂だけ、ここにおいで」。
 そうだ、危うく忘れかけていたけど、私もそうやって“ここ”に呼ばれたんだったっけ。
 死んでしまった女の子を、私はどうしても、お姉ちゃんだと思えない。たぶん、それは一度生まれ損ねた私だ。
 別にだからと言うわけじゃないのだけど、近頃しみじみと思う。
 強く生きねば、と。
『氷の海のガレオン』を読んで、いっそうしみじみとそう思う。

(“ガレオン”はガレオン船のガレオンだったのね。それにしても“ピュアフル文庫”って、人を馬鹿にするにも程があるネーミングだねえ・・・)
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