la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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ieの孤独な闘争(と、その展望)
初めて自分で買って自分で運転した車はアルトワークスの最終型RS-Z、潤んだ目をした外見のせいでコアなアルトワークスファンからは難癖をつけられたりするモデルだった。でも私にとってはそんな外見も色(平凡な白だけど、昨今の車の白よりほんのわずか、オフホワイトに近い)も乗り味も非の打ちどころのない、大事な大事な相棒で、事故で廃車にしてしまうまでの九ヶ月、乗るのが楽しくて仕方がなかった。

事故のあと、車屋さんが「次の車が見つかるまで」と貸してくれた代車は、スティングレーだった。攻撃的な顔つきとは裏腹にとても静かに走る車で、まるで車じゃなくて部屋が動いてるみたいな気がした。車に「乗せられてる」感じでどうしても好きになれなかったし、慣れることもできなかった。

だから、ようやくRS-Zと同じ外見をした二台目のアルトワークスが見つかったとき、心の底から嬉しかった。
アルトワークスの「ie」というモデルで、車屋さんまで引き取りに行ってみると、一台目とまったく同じ人待ち顔をしてそこに止まっていた。

でも、エンジンをかけてアクセルを踏んだ瞬間、ああ、全然ちがう、と思った。家まで運転して帰る間もずっと、これは「私の車」じゃない、と思い続けた。そんな風に思えば思うほど、事故を起こした自分を責めた。

その後も、フロントガラスが雨にからきし無力だったりいわゆる「ベルト鳴き」がしていたり、エアコンのコンプレッサがただごとじゃない異音を出して修理を頼まざるを得なかったり(車屋さんは「初期不良」という扱いで無料で直してくれたけど)、たまに不意打ちでパワーステアリングが利かなくなったり、先日は行きつけのガソリンスタンドで(「今日も飛ばしてはりますかー?」という結構なご挨拶。車が車だから仕方ないけど)、後ろのタイヤが金属片を踏んでスローパンクを起こしていることが判明。「普通これだけ空気抜けてたら、多少は違和感あるんですけどねー」と言われて、何も気づいてなかった自分にがっかり。

フィーリングが合うとは言い難いし、それ以前に、トラブルが多すぎる。
もちろん、並みの軽自動車よりはよく走るんだろう。
でも、RS-Zは九ヶ月の間、一度も、何のトラブルも無かったのだ。

そんなことをぐだぐだと考えながらも、ほぼ毎日、私はieのおかげで仕事に通い、買い物をしている。
そう、ieだって車なんである(グーグーだって猫であるように)。
本当に、とても、お世話になっているんである。
確かにRS-Zの時みたいに、休みの日に大した用事もなく、車を運転するためだけにドライブに出かける、なんてことはなくなっている。
まあ、でも、私にとって車というのはそれくらいで丁度いいのかもしれない。

というわけで、明日も元気に(?)ieで通勤します。

追記、今年の目標をふたつ。

ひとつめは、安全運転。

ふたつめは、早寝早起き。もとい、毎朝ちゃんと庭に出て、畑の様子を見ること(アゲハの幼虫はでかくなると心理的に駆除しづらくなるので、卵のうちに取り除くこと)。
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自己の事故の事後報告
「わたしたち、そのどうくつの中にいたら、助かるわ。」
(トーベ・ヤンソン/『ムーミン谷の彗星』)


避難所。シェルター。
そこにいれば何も怖くない、と思える空間。
海が干上がったって。
彗星が地球にぶつかったって。

しばらく更新が滞っていたのは、穴があったら入りたいけどそんなに都合よく穴なんか見つからなくて、穴がなかったら掘ってでも入りたいくらいの気持ちがけっこう長く続いていたからで、それというのも、まさに先の記事で「大事に乗ろう」と誓ったばかりの愛車アルトワークスを、あっという間に、一瞬で、廃車にしてしまったからだ。

交差点で、車同士の接触事故。
何が起こったのかぜんぜん解らなくて、私には「いきなり真横から車が突っ込んできた」としか思えなかったので、警察が来て現場検証してる間も、完全に呆然自失の被害者面をしていたのだけど。

誰も怪我がなかった、というのは不幸中の幸い。
相手側の過失がなかったわけでもない、というのはせめてもの慰め。
でも、実は私の不注意こそが、最大の原因だったのだ。

アルトワークスは事故直後からエンジンがかからない状態で、レッカーを呼んだ。
レッカーの人から「廃車」という言葉を聞いた瞬間、何かの仕掛けが作動したみたいにいきなり涙があふれてきて、レッカーの人を相当うろたえさせてしまった(余談だけれど、涙を武器にする女なんて私は大嫌いだし、そもそも女の涙に、相手が女だからというだけで動揺するような人間も嫌いだ。それに私は泣き虫でしょっちゅう泣くので自分の涙には慣れている。でもどうやら「泣く」ということは、自分が思っている以上に周囲をざわめかせるものらしい。意図的に泣いたり泣かなかったりできるなら武器にもできるのだろうけど、武器にしたいわけでもなく最初から泣こうと思って泣くわけでもないので、とりあえずは私が泣いても動揺する必要はない、と周囲にあらかじめ自己申告しておくことにした。冗談ではなく、これはとても重要な問題だ)。

もとい。
嫌な報告はさっさと終わらせてしまおう。
とにかく私は、運転者(自分)、同乗者、事故の相手の三人の無事と引き換えに、愛車アルトワークスを廃車にしてしまった。
事故からはそろそろ一ヶ月が経とうとしているけれど、まだ運転は怖いし、自己嫌悪も薄れる気配はない。
でも、運転は、怖いくらいでちょうどいいのかもしれない。
今は近所の車屋さんのご厚意で、代車(ナビつきの現代っ子、スティングレー)で通勤しつつ、二代目のアルトワークスを探し中だ。

「車なんてそんな簡単に壊れるものじゃない」なんて、事故を起こしたことのない人間にしか言えないことだったんだなと、深く深く、思った。

まだ、穴があったら入りたいし、でも穴なんてないからいっそ掘りたい。

だけど、穴に入ってしまったらきっと、他の誰のでもない自分の「過失」を、ちゃんと認めることもできないだろう。
陳腐に言えば、高すぎる授業料、ということ。

以上。
アルトでもなく、ワークスでもなく
今日、ガソリンスタンドでアルトワークスに給餌中、スタッフのお兄さんが駆け寄って来て「安全点検キャンペーンを無料で云々」と笑顔で勧めるのへ曖昧な笑顔を返しつつ「あー、別にいいですー」と答えていると、不意にそのお兄さんが「きれいなワークスですね!」と言った。

何だか「ワークス」というと(「ケータイ」とか「カレシ」とかと同じイントネーションで発音する)モータースポーツのチームのこと、というイメージだし、「アルトワークス」をそういうふうに省略して呼ぶ文化に触れたことがなかったので、何を言われたのか理解するのが一拍遅れた。

でも、理解してみると車種を話題にしてくれた初めての他人だし、「きれい」だなんて言われると嬉しくないわけがなく(自分に対してじゃなく。念のため)、一拍遅れたものの確実ににやけた。
何でもそのお兄さんはアルトワークスが好きで、私のとは違う年代のをこれまで三台くらい乗り継いだのだそうだ。
けれど、それを聞いてふと思った。
お兄さん、まだ二十代じゃないのかしらん。
いったい一台を何年で捨てた(または壊した!?)んだろう。

数日前に橋桁にぶっつけて左の脇腹(車の)をへこませて、明瞭にへこんでる(車も自分も)私が言うのも何だけど、好きな車って大事に長く乗ってやりたいし、そもそも数年で乗れない状態になるような車なんてそうは無いと思う(アルトワークスは特に故障しにくいらしい、という話も聞いたことがあるし。ほんとか嘘か解らないけど)。

だから私はガソリンスタンドのお兄さんと「ワークス仲間」的に盛り上がることはできなかったけれど、まあ、でも、自分が好きで大事にしているものを褒められるのって、やっぱり嬉しい。それで何となく気持ちがふわふわして、ガソリン代のレシートとお釣りを取るのを忘れてしまった(すぐに戻って事なきを得たけど)。

三台も乗り継げるということは、市場在庫はある、ということなんだろうけど(もし壊れても同じ車種が二度と手に入らないわけではない)、でも、私にとっては今のこの一台が唯一無二の愛車だ。

もう絶対、どっかにぶつけたりしないように、気をつけよう。
我が魂の伴侶
引き離されることの理不尽さとか。
離れて初めて気づく愛しさとか。
失くして初めて気づく大切さとか。

いや、決して「引き離された」わけじゃなく、「失くした」わけでもなく、もちろん「理不尽」であるわけもないんです。
それら諸事情は、重々承知してるんです。
だって単に愛車を車検に出して、それがお盆休みと重なったせいで数日のあいだ代車に乗らなきゃならなかっただけなので。

でも、久々に(たった数日でも私はそう感じる)再会した愛車は、いつも常にそうなんだけどちょっと心細そうな顔をしていて(もともとヘッドライトが「涙目」と呼ばれてるモデルなのだ)、キュンとしてしまう。
運転席に座ってみると、シートの心地よさとステアリングの小ささにあらためて驚く(ステアリングは、前の持ち主がカスタマイズしてて、本当に小さい)。

エンジンをかけ、ゆっくりとアクセルを踏んでみる。ハンドルを切る。ブレーキを踏む。
ああ、このリアクションだよ。そうなんだよ。

私のしたいことを解ってくれる。
言葉がなくても。
でもそれはきっと、私にも愛車アルトワークスのことが解っているからなんだろう。
このくらい切ったら、このくらい曲がる。
このくらい踏んだら、このくらい動く/止まる。
機械と人間を同一視するわけじゃないけど、人間対機械、という関係において、ただ使う側/使われる側、という図式は成り立たないのじゃないかと思う。
コンピュータについても同じで、使う側が相手をちゃんと理解していなければ、機械は(というのも彼ら?彼女ら?は極めて素直なので)、人間の望む結果をもたらさない。

でも、私は思うのだ。
人間を相手に試みるより、車に対して試みるほうが、はるかに成功率が高いと。
たぶんこういうことなのだろう、車は私に対して善意を持たない、その代わりに悪意も持たない。
人は私に対して善意を持ちうる、その代わりに悪意も持ちうる。
うーん、微妙な議論になりそうな気配だけれど、もしかすると、私は他人から敵意を抱かれやすい人間なのだろうか。
迷走アルトワークス/羊狼は何処へ
車の運転を始めて4日経った。
うち3日は1人で乗った。
そんで、迷子になる率が、100%なんである。

カーナビはないけど、ルート確認してあるし、行きは、ちゃんと目的地に着ける。
なのに何故だか、毎回、家に帰れないんである。
同じ道を戻ればいいのに、正しく戻れない。
引っ越したばかりで土地勘がないのは確かだけど、これはたぶん、そんな問題じゃない。

車に乗って迷子になるというのは、当然ながら、徒歩で迷子になるのと規模が違う。
交差点で右折と左折を間違え、「〇〇線」という標識だけ確認して(道は合ってる)安心したまま、家とは逆方向へ走ること数分。
なんか見覚えのない景色だな。
あらら。他府県に着いちゃう。と気づくんである。

ぶきっちょにUターンして、引き返す。
もとの交差点まで戻って来て、そのまま直進すれば良いものを、何故だか曲がってしまう。
もう、あとは方向音痴の本領発揮。
曲がるべきところをまっすぐ通過し、直進すべきところで曲がる。
あちこち走り回ってやっと遠くに見慣れた大きな橋が見えて、そこ目指して走って行って、この橋を渡ればおうちに帰れる、と思ってたら、あらら、この橋、T橋じゃなくってY大橋だ、渡った先の交差点はどっちに行くんだっけ、っていうかここ左折レーンだから左にしか行けないじゃん。

もちろん、正解は右折なんである。

南に行かなきゃならないのに、北へ向かってまっしぐら。
間違ってるのは解ってても、徒歩みたいに「回れ右」ってわけには行かない。
左側にUターンできる場所が見つかるまで、北へ走り続ける。
「私は、おうちに帰りたいだけなんだ!!」
心の中で絶叫しつつその「おうち」からどんどん遠ざかってゆく感じが、かなり情けなく心細かった。

けっきょく、昨日は一時間半くらい(!)迷走してた計算になる。
同居人いわく「最初からナビに頼ると、ナビがないとどこにも行けないドライバーになる」。でも私、「ナビがないとおうちに帰れないドライバー」なんじゃないだろうか。

うーむ、不安だ。
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